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生存者たちの話    

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パーティーがしたかっただけなんだ、踊りたかっただけなんだ

  • Tzofiya M.'s story

テロリストが近くにいる!子どもたちがどうか静かにできますように。

私たちの実体験をお話しします。

初めに、私は心を尽くして主に感謝をささげます。主はいつくしみ深く、その慈しみはとこしえまで。「私たちの神、主よ、宇宙の王、罪ある者を救ってくださる方に祝福があるように。あなたは私によくしてくださいました」全く予期せぬ部隊を送り、私たちを守ってくださった神へ感謝を込めて。

私たちはシムハット・トーラー(ユダヤ教の祝日)を共に祝うため、南部のモシャヴ(共同体の一種)であるヤキーニに住む、義姉夫婦の家で過ごしtれいました。まさかこんな状況や悪夢に巻き込まれるとは、少しも思っていませんでした。

午前6時、それは狂ったような爆発音とともに始まりました。数分もしないうちに、私たちはそれが激烈な弾幕であることがわかり、子どもたちと一緒にシェルターに急ぎました。同時に、何が起こっているのかを理解するために、テレビをつけました。

私たちは、これが普通の銃撃戦ではないことを理解しました。 そうこうしているうちに、夫と義理の弟が外に出て、何が起きているのか見ようとしたところ、バルコニーのすぐ近くで銃声が聞こえたのです。数秒のうちに彼らは避難所に入ってきて、家に鍵をかけ、ドアを閉め、冷蔵庫を立てかけて、まだ眠っていた子供たちをシェルターに連れていきました。

私たちはシェルターに籠もりながら、何が起こっているのかを理解しようとしました。テロリストがモシャヴに侵入したのです。義弟と夫は実際にテロリストを目撃しました。また、義兄は家の周りの監視カメラをテロリストに向けました。テロリストは家の近くの平原にいました。

子供たちが目を覚ましてしまったので、 私は命乞いをし、何でもするから静かにしてくれと神に祈りました。今、音をたてるわけにはいかないのです。6時間の間、息を潜めていなければなりませんでした。テロリストたちがモシャヴの中を歩き回り、軍隊はまだ到着していなかったのです。

子供たちはおしっこがしたがりました。私たちは子供たちがおしっこをするための瓶を見つけました。小さい子にはオムツを履かせ、シェルターから出たら本当にビックリするからねと言いつけました。

モシャヴ管理者から、テロリストはまだ周囲にいるから音を立てないようにという通達がありました。子どもたちに聞かれてしまうので、大人同士で話すことはできませんでした。続く知らせで、モシャブの住民5人が死亡し、うち2人は義理の兄の家族だということがわかりました。

私たちは避難所に閉じこもり、互いにほとんど口をきかず、外で起こっている恐怖と悪夢についての情報を伝達しあうのがやっとでした。

義理の兄と夫は、24時間交代でシェルターのドアの前に立ち、取っ手を握り締め、ナイフを持ってドアの前に立っていました。外で何が起きているのかを子供たちに悟られないよう、彼らの気をそらすために、ゲームや図画工作など、シェルターにあるものは何でも使って時間が過ぎるのを待ちました。




夕方、すでにモシャヴにはテロリストはいないが、シェルターにとどまるようにという連絡がありました。私たちは食料と水を汲みに出て、またすぐにシェルターに戻りました。

シェルターでの一夜は、9メートル四方の部屋に11人で過ごし、どうにかマットレスをしいて、座ったり、体を縮めたり、この悪夢から救われるためなら何でもしました。

朝、目を覚ますと、夜のうちに再びテロリストが潜入がしたというニュースが飛び込んできました。恐怖で私の身体は硬直しました。ベッドから起き上がるのもやっとで、コカコーラ・ゼロだけを口にしました。土曜日の朝から何も食べていませんでしたが。

ただただ家に帰りたかった。子供たちのことも、何が起こるかわからない不安のことも、処理しきれませんでした。私は、友人であり、私に多くの勇気を与えてくれた議会の警備担当者の女性にメールをし、外で何が起こっているのか、私たちはそこを離れて逃げるべきなのか、彼女に相談しました。彼女は私にとても勇気を与えてくれたので、私はそこから車で逃げるべきだと確信しました。しかし、家族は誰もが反対しました。ダメだ、救助を待つべきだと。心配してくれた家族や友人からの電話やメッセージが次々と届き、私はそれに耐えられませんでした。心が折れそうになり、友人に「そこから出なければ!」とメールをしました。

午後3時頃、私は義理の兄と話をしました。「聞いて。ここから出よう。こんなのもう耐えられない。子供たちは悪夢にうなされるだろうし、絶対悪いことが起こる。ここから出よう。途中で祈ろう、叫ぼう、歌おう。そしてこの悪夢から逃げよう!」

義兄は全員でそこから逃げることを決断しました。

私たちは準備を始め、30分もしないうちに全員が車に乗り込みました。ズァヒのチーム以外は誰にも知らせませんでした。彼らは軍隊に私たちを撃たないよう伝えてくれました。

私たちは震えながら出発し、一言も話さずにゲートを通過しました。テロリストの車を見て、彼らを呪い、途中で燃えた車や検問所を通り過ぎました。私たちは必死で車を走らせ、ベイト・カマの交差点に着き、国道6号線に入りました。その時点でようやく、私たちは脱出したと人々に連絡をしました。悪夢から、子供たちが置かれた地獄から脱出したと。

3時間後、心拍数が正常に戻り、谷に帰りつきました。モシャブの友人たちに歓迎され、私たちの体はようやく緊張から解放されました。子供たちはすっかり日常に戻り、家ではシューティングゲームをしているほどでしたが、黙っている子もいました。食事をしてシャワーを浴び、ベッドに向かう。そんな日常のなんてありがたいことか。

翌朝目覚めると、自分たちが経験したことが信じられませんでした。私たちは子供たち自身に彼らが経験したことを言葉にして話させることで、彼らの心のケアをしました。

どうかより良い日々が訪れますように!人質や行方不明者が生きて見つかりますように!ガザと国境を接する村々の子どもたちが、平和な日々を過ごせますように。私たちがシェルターに閉じ込められたのはたった48時間だけだったけれど、とてもトラウマになったし、彼らがどう感情を処理できているのか分かりません。

「希望は恐怖よりも強い、唯一のものだ」

より良い日々、より静かな日々、より穏やかな日々が訪れますように。この恐ろしい悪夢から目を覚ますことができますように。

すべてのイスラエルの民に吉報を。

ツォフィヤ・M

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