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生存者たちの話    

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運転する夫に叫んだ「何が立ちはだかっても、そのまま突き進んで!」

Limor A.'s story

愛する故郷スデロットは破壊された

土曜日の朝6時20分、目が覚めた私はベッドに横たわり、SNSをスクロールして最新情報をチェックしていた。ちょうどその時、「レッドアラート」が鳴り響いた。ストレスに叫び声を上げ、子供たちを起こし、セーフルームへと避難した。


家の上空でアイアンドームの迎撃音が鳴り響いた。サイレンと爆発音もどんどん激しくなった。数分後、イスラエル全土にロケット弾が撃ち込まれていることがわかった。子供たちは「なぜ?」と聞いたが、私は何も答えられなかった。ただ、何か深刻なことが起きていることだけは分かった。


警察署に勤務していた親友や、親愛なる隣人、さらに夫の両親の友人たちが殺されたと分かった。

すると突然、銃声が聞こえ始めたのだ…悲鳴をあげたが、信じられなかったので、窓に駆け寄りしゃがみこんだ。絶え間ない銃撃が私たちの家のすぐ隣で起きていることが分かった。私たちは携帯電話と子供たちのために水のボトルを引ったくり、再びセーフルームに避難して扉を閉めた。そして様々なWhatsAppグループに、友人たちからビデオが送られてきた。

そこには恐ろしい映像が映っていた。スデロットの街は数十人のテロリストに取り囲まれていた。テロリストたちは、朝のランニングに出かけた人々や、死海への楽しい日帰り旅行を心待ちにしていた高齢者たちを撃ち殺していた。さらに、スデロット警察署の治安部隊が、署内で激しい戦いを強いられていることを目の当たりにした。あのケダモノどもは、私たちの大切な親友や顔馴染みの警察官たちを殺害したのだ。


街の通りでは銃撃が続いていた。ヘリコプターの音や、国防軍の軍事作戦が行われている音は、何時間も一切聞こえてこなかった。私たちは部屋中の電気を消し窓を閉め、正面玄関に障害物を置いた。テロリストたちが侵入してこないように、そしてこの悪夢が終わるようにとただただ祈った。私たちはニュースや、家族とのグループメッセージに釘付けになった。私の母は一人で、そして私の娘は幼い子供たちと一緒に、同じように家に立てこもり、セーフルームに避難していた。ストレスと恐怖、そして無力感でいっぱいだった。娘と私は不安発作を防ぐために薬を飲んだが、緊張と恐怖は増し続け、とても辛かった。


土曜日の午後に差し掛かるころ、警察署に勤務していた親友や、親愛なる隣人、さらに夫の両親の友人たちが殺されたと分かった。金曜の午後によくうちに遊びに来ていた警察官たちや、警察署に勤務していた20人以上の友人も、みんな死んでしまった。悲しみで体が麻痺し、涙が止まらなかった。テロリストたちが警察署を爆撃した一夜が明け、私たちは思い知らされた。友人たちは死んでしまったのだ…全員…


翌日の午後、私たちは数着の着替えだけを持って家を脱出し、イスラエル中央部の町へ向かった。私たち一家は不安でいっぱいだったのだ。たくさんの葬儀がスデロットで行われたが、私たちは出席できなかった。まだスデロットは、ロケット弾やテロリストの侵入の脅威にさらされていた。最愛の友人の葬儀は、Whatsappで生中継された。


痛みと強い悲しみ、そして見捨てられたと言うショックに襲われ、目を閉じることができない。権力者たちは、20年以上ガザ周辺地域に住み続けてきた市民全員を見捨てたのだ。

スデロットは私たちのふるさとであり、心そのものだ。その心は、完全に壊されてしまった。


リモル・A

Limor A.'s story




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