top of page

生存者たちの話    

次を読む

.

  • Adi E.'s story

両手を縛られ、友を抱きしめ慰めることさえできなかった

私の体験は、とても辛いものだ。細かいことが徐々に思い出されてくる。

テロリストが我が家に侵入してきたとき、子供たちと夫は家にいなかった。私は一人で身を隠し、テロリストが家に押し入ろうとする音を聞いた。家族のWhatsappグループに「テロリストが侵入してくる!」と連絡して1分もしないうちに、侵入される音がした。 テロリストの笑い声が聞こえ、もしシェルターに入ってきたらどうしようと思っている間に、彼らはあっという間にやって来て、私を見つめ返していた。 テロリストは、2人いた。1人は英語、もう1人はアラビア語を話していた。私はアラビア語を少し話せる。「心配するな、傷つけるつもりはない。」と彼らは言った。解放して欲しいと頼んだが「一緒に来い。騒ぐな、俺たちは車が欲しいだけだ。車はどこだ?」と言われた。私はローブとパジャマしか着ていなかった。

私は、自分の車を所有していないこと、そしてここキブツにはたくさんの車があることを説明した。「車の鍵をしまっている棚まで、私を連れて行ってほしい。そのためには服を着る必要がある」と伝えた。彼らは私に服を着させ、靴を履かせ、私が武器を取り出していないことを数秒おきに確認し、バッグを持つのを許可した。私たちは外に出て、キブツ内を歩いた。 テロリストたちは私に「子どもはいるのか?夫は?」と聞いてきた。大通りに出ると、遠くに一人の兵士が見えた。テロリストたちは「あいつは仲間だ」と言ったが、その兵士はヘブライ語で「こっちへ来い!」と私に叫んだ。私は、隣にいるテロリストたちは武装しており私の手を掴んでいると、彼に示すだけで精一杯だった。

すると、銃撃戦が始まった。テロリストたちは私の手をつかんだまま走り出した。彼らは反撃しようとはせず、ただ私を連れて逃げた。西に向かって走っていたので、嫌な予感がした。私は、間違った方向に進んでいると説得を試み、「どこへ連れて行くの?」と叫んだが、返事はなかった。彼らは無線で仲間たちと話し、叫び、混乱していた。彼らはどこに逃げればいいのかわからないようだった。

銃撃戦からほどなくして、私はキブツ内の老婦人の家に連れて行かれた。そこには老婦人と、介護士のフィリピン人女性、そして大勢のテロリストたちがいた。彼らはより組織的で、強そうだった。互いに口をきかず、規律に従い、軍服の上から多くの武器を装備をしていた。 彼らはすぐに私の両手を背中に回してきつく縛り、座らせた。服をきちんと着ていなかった私の足を隠させようとしたのだ。テロリストたちは老婦人を黙らせようと躍起になっていた。老婦人は何が起こっているのか理解できず、静かにしろと言われたことも忘れて質問し続けたからだ。 その時、「パパ、パパ」という子供の叫び声が聞こえた。テロリストが2歳の男の子を連れてやってきて、その子の手を持ち宙づりにして私たちに投げつけた。男の子は叫びながら父親を探し、逃げようとしたが、テロリストたちは許さなかった。フィリピン人女性が両手を前に縛られたまま、男の子を押さえつけようとしたが、彼は 「パパ、パパ 」と叫びながら逃げていった。私は父親が誰なのか、男の子に尋ねようとした。逃げたら彼が撃たれてしまうのではないかと恐ろしくなり、男の子の気をそらそうとした。彼は私に話し始め、自分の父親が誰なのかを説明し始めた。

もう一人、7歳か8歳の男の子とその母親が連れられて部屋に入ってきた。彼女とは知り合いだった。彼女は銃弾の傷だらけで、シャツ全体が血まみれだった。身体は震え、歩くのもやっとの状態だった。夫が撃たれ、赤ん坊の娘は死んだと彼女は言った。どうしてそんなことを、赤ん坊は死んでいないかもしれないじゃない。彼女は言った。「頭を撃たれたのよ。」 私は両手が縛られていたので、彼女を抱きしめることができなかった。彼女の上に頭を置き、ただただ一緒に泣いた。テロリストたちは私たちを黙らせた。彼らは老婦人のドレッサーから、血まみれの母親が着替えるためのシャツを持ってきたが、彼女は怪我のせいで息をすることが難しく、着替えることなどできなかった。彼女は私にこう誓わせた。「アディ、私は生き残れない。お願い、どうか私の子供たちを守って。」 私は彼女に、大丈夫よと言った。年上の男の子が「ママ、僕たちはどうなるの?」と聞くと、母親は「私たちは殺されるんだわ」と言った。私はそうではないと言おうとした。すると、その親子を連れてきた男が私に近づき、こう言った。「お前は生かしてやる。私の言うとおりにすればいい。この親子は私の言うことを聞かず逃げようとしたから撃ったのだ」と。

男の言うとおりにしなければ、私はいとも簡単に殺されるのだろうと覚悟した。男は私を道路に連れて行き、こう言った。「あの車が見えるな?あそこから死体を出してこい。私の友人たちが死んでいるんだ。」イスラエル国防軍の兵士が見ているかどうかわからなかったので、両手を上げて車に向かって歩いた。突然、銃撃がはじまった。私に命令した男は、私に駆け寄ってきて手を握り、「走れ、走れ、ヤジュリ(アラビア語で『走れ』の意)!」と言いながら、他のテロリストたちと同じ方向に走った。

私は、さらに多くのテロリストがいる別の家に連れて行かれた。家は焼きつ尽くされ、地面にはたくさんの銃が散らばっていた。RPGランチャーもあったし、燃える装甲車、家のそばには死体もあった。家に入れと言われたが、焼けて熱かったので入れなかった。私は家の入り口に小屋があるのを見つけて入った。小屋の中で、多くの人々が戦っていた。私は奥に入れと促された。

テロリストたちは銃を乱射していた。強烈な火薬の臭いがして、破片が飛んできたので、拾ったバインダーで頭を守った。途中で、紙おむつのパッケージがあるのを見つけ、身を隠す場所を確保した。そこに座って小さくなっていると、テロリストが次々と入ってきた。時々、私を変な目で見てきた者には「あなたの友達が連れてきたのよ」と言った。

徐々に人が減り、銃声も減り、アラビア語の叫び声も少なくなった。それからどれくらい経ったかわからないが、遠くからヘブライ語が聞こえてきた。テロリストたちは家を通り抜けて裏庭に行き、逃げ出した。 イスラエル兵が、小屋にいる私の姿をテロリストと間違えるかもしれないと思ったので、「兵士たち!」と大声で呼びかけた。すると、「女性がいる。イスラエルの市民がいるぞ。」と言うのが聞こえ、また銃撃が再開した。 素晴らしく統率の取れたチームが到着する音が近づいてきたので、私は再び「兵士たち、兵士たち!」と叫んだ。指揮官が私に近づき、「ここで何が起こったのですか!」と尋ねた。私は、テロリストがたくさんいたと言い、彼らが行った方向を教えた。彼は部隊を送って家の中を調べさせ、私を連れてここを脱出しようとした。 しかし、戦いはまだ終わっていなかった。兵士たちは私に、「あなたはこれから私たちと一緒です。私たちはあなたと共にいて、あなたを守ります。」と言ってくれた。私たちは前進しようとしたが、激しい銃撃にさらされた。全員地面に伏せ、前進を断念した。低木の多い庭に引き返し、常に誰が一緒にいてくれた。 兵士たちはまるで天使のようだった。彼らは名前を名乗ってから「あなたを守り、一緒にいます。すべてうまくいきます。あなたをここから連れ出します。」と毎回言ってくれた。「私を茂みの中に置いていってください。私のことは考えないで、あなたがやるべきことをやってください。重荷になりたくないんです」と私が言うと、「そんなことはありません。あなたを助け出すために我々は来たんですから。我々はあなたを置いてはいきません。」と言ってくれた。 私を取り囲む兵士たちはテロリストと戦い、私の目の前で4人が負傷した。怪我をした兵士たちは庭の中央に運ばれ、衛生兵が止血帯を巻いて手当をした。指揮官が負傷したと聞いたが、軍曹が兵士たちにこう言った。「指揮官が負傷した。しかし、我々はチームだ。今は私が指揮官を務める。私の命令に従ってくれ。」兵士たちは「はい」と答えた。彼らは懸命に戦った。「我々はここで民間人を守り、彼らを救い出す。我々、軍はそのために戦うのだ!全力を尽くそう!」と、軍曹は兵士たちを鼓舞した。 キブツからの避難は、銃撃が絶え間なく飛び交う中で行われた。時に地面に這いつくばり、車の陰に隠れなければならない場面もあった。兵士たちは身動きが取れない中でも、懸命に戦い、死力を尽くした。

皆、「国防軍はどこにいるんだ?」と言い続けていたが、私は違うと思う。私は分析をするタイプではないが、国防軍の兵士たちは勇敢に戦ってくれたと感じる。彼らの思いやりは言葉では表現できない。兵士たちは私と負傷者をキブツから連れ出すことに成功した。私に起こったことは単なる奇跡であり、あの母親と2人の子どもに何が起こったのかはまだわからないままだ。 アディ・E Source: Ynet

bottom of page