top of page

生存者たちの話    

次を読む

四方八方から銃撃され、僕は死を覚悟した

  • Gal B.'s story

命は助かったが、魂は大きく抉られてしまった

この美しい写真は、すべてが始まる数分前に撮られたものだ。月を背景にした日の出は、このあと僕たちの人生に巻き起こる試練とは対照的な美しさだった。


Gal B with his friends

6時30分。僕たち9人の友人グループのうち4人は、朝日を浴び音楽にのって踊っていた。 最初はロケット花火のような、こもった音が聞こえた。訳が分からないまま数分が経ち、それが激しいロケットの乱射であることに気づくと、人々は散り散りに走り始めた。この世の終わりのような光景だった。 NOVA音楽祭の主催者がアナウンスをした。「激しい集中砲火を受けています!全員退避してください!」何人かはすぐに会場を立ち去った。警官や兵士を装ったテロリストたちが道で待ち構えていて、彼らは虐殺された。あんまりだ。 僕たちは躊躇した。イスラエル南部で育った僕としては、ロケット弾が数発飛んでくるくらい、さほどストレスではなかった。僕は友人たちに「焦らずに、地面に横たわって、過ぎ去るのを待ったほうがいい。」と言った。しかし、爆撃は止む気配がなかった。音楽祭のスタッフは、この地域で激しい爆撃があり、全員が速やかに避難する必要があるとアナウンスし始めた。会場はさらに混乱した。一体何が起こっているのか、誰にも分からなかった。

僕たちは大慌てでテントや椅子を片付けたが、まだ頭がぼんやりとしていて、事態の深刻さを理解していなかった。会場スタッフは、非常口を使うようにと呼びかけていた。何かがおかしいと感じたが、僕たちはまだ混乱しており、言われた通りに避難しようとした。一緒に来ていた友達を集め、荷物は全部置いたまま、車に急ごうと伝えた。一緒にいた2人の女の子は忘れ物の靴を取りに戻ったので、待った。全員が確認できたので、僕はプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも運転を始めた。

会場の入り口に向かって車を走らせ、そこから出ようとすると、警備員の一人が「Uターンしろ!」と声を荒げた。理由はわからなかった。しかし今となっては、イベントの警備員と運営スタッフは多くの人命を救ってくれたのだと思う。彼らは、人々の命を守るために必死だった。 僕は車の向きを変え、渋滞の中を2、3分走り、道路に出た。右折しようとしたとき、赤い車がUターンしてこちらに走ってくるのが見えた。その運転手に話しかけた決断が、僕たちの命を救った。彼の顔が脳裏に焼き付いて離れない。彼の車内はガラスだらけで、銃弾の跡があちこちにあり、頭からは血が滴り落ちていた。彼に、なぜ警官が引き返すように言ったのか尋ねると、「兄弟、こっちへ行ったらおしまいだ。やつらに撃ち殺されるぞ。別の道に行け!」それでも僕はまだ、一体何が起こっているのか理解できずにいた。

赤い車について、右ではなく左に曲がることにした。曲がる寸前に右を見ると、車の中で殺された人たち、逃げ惑い倒れていく人たち、その後ろで一般人に扮したテロリストたちが人々を銃撃しているのが見えた。友人の一人はオートバイも見えたという。僕らの車は遅々として進まなかった。その間、テロリストたちは迫って来て、人々を無差別に撃ち殺していた。僕たちは、まだ事態が把握できないまま、車に乗ってゆっくりと前進を続けた。前方から、パニックになった車がバックで発進し、僕たちの車に突っ込んできた。もうめちゃくちゃだった。 振り返ると、テロリストがすぐそこまで近づいてきていた。あちこちで人が倒れ、あらゆる方向から銃声が響き、ロケット弾が飛び交い、悲鳴が聞こえた。僕はみんなに「今すぐ車から降りろ!」と叫んだ。みんな黙り込んで、顔を見合わせた。本当は僕だって、どうしたら良いか分からなかった。ただひとつ確かなことは、今すぐ車から降りなければならないということだった。行く当てもなかったが、カモのように車の中で待つつもりもなかった。結局、みんな車を降りた。「振り返らず走れ!」と叫び、僕も車を降りた。

しまった、携帯を車に忘れた。バカの極みだし、命を軽んじていたと思うが、僕は携帯を取りに車に戻った。その時点でさえ、僕は事態の深刻さを理解していなかったのだ。その決断は正しかった。この携帯は僕の命、友人の命、そして周囲の人々の命を救ったのだ。 振り返ると、燃やされた車、倒れている人々、走りながら絶叫する人々、そして迫りくるテロリストたちが見えた。僕たちは全速力で走り出した。車から降り、友人たちを追いかけ始めた時、警察官があちこちにいることに気づいた。そして数メートル先に、警察帽と銃を持った3人の暗い人影が見えた。殺されると思った。おしまいだ。もう勝ち目はない。僕は固まった。しかし、彼らは僕たちに気づかなかったかのように、銃撃戦に向かっていった。彼らが僕たちの味方だったのか、それとも単に関心がなかったのかはわからない。彼らは僕らの命を救ってくれたヒーローだと信じたい。



僕たちは走り続けた。走りながら、イスラエル国防軍の高官を見かけた。なぜこんなにも早く、高官がここに駆けつけたんだろう、なんてことを反射的に疑問に思った。このことが始まってからの時間の概念を完全に失っていた。人って、こういう時には正常な判断ができなくなるんだからおかしいものだ。すでに朝の8時だったが、僕はまだ事態が飲み込めていなかった。

いよいよ考えをまとめ、現状を詳しく把握できる状態になった。グーグルマップを開き、(逃亡中に得た情報から)もしこれが本当にテロリストの侵略だとすれば、国境から離れた東に移動する必要があるだろう。周囲の人たちに「東に移動するべきだ!」と叫ぶと、聞く人もいれば、別の道を選ぶ者もいた。人々の心の内を、僕は知る由もない。けれど、僕が出会い、話しかけ、励まし合った人々の多くは、後に犠牲者として報道されたり、広く出回っている人質ビデオに映っていた。みんな見覚えがある人たちだった。 正しい判断なのかどうか、まったく確信が持てなかったにもかかわらず、僕たちは東へと走り続けた。



キブツ・レイム北側の畑に向かって走り続けると、多くの人がそこで躊躇した。僕はこのまま東に進もうと主張した。何人かは立ち止まり、両親と話し合ったりして、その場に留まることを決めた人も多かった。一人ひとりがどう考え、どんな決断を下したのかを知ることはできない。その後みんなに何が起こったのか、本当のところはわからない。

谷の手前の崖に着くと、目の前には見渡す限りの荒野が広がっていた。はじめは僕も進むことをためらった。もしかしたら軍や警察が現状を打開してくれるかもしれない…そう思い、待った。しかし、銃声、手榴弾、機関銃の音が迫ってくる。悲鳴はかなり近くから聞こえた。このまま東へ走り続けたほうがいいと判断し、僕は友人たちに下山しようと伝えた。谷底にたどり着き、また走り始めた。 しかし、女の子たちが一緒に来ていなかった。振り返ると、彼女たちは谷の頂上でまだためらっていた。「降りてこい!」と叫んだが、彼女たちはショックと不信のどん底にいて、動けずにいた。背後から銃声が迫っているのに彼女たちは降りてこないだろうと思ったので、僕は再び崖を登り、立ち往生している人たちをかき分け、「今すぐ駆け下りろ!」と彼女たちを励ました。 再び崖を下った。直前でノームが靴をなくしたが、痛みに耐えて進めと言った。マイ、アルマ、アイナフも駆け下りた。僕たちはまた荒野を走った、何時間も何時間も。水も食料もなく、丸一日寝ていなかった。僕はずっとグーグルマップを使って、国境から離れて東に移動するよう人々を誘導し、叫び続けた。みんな僕を頼りにして、前に進み続けた。

今にしてみれば、寿命が縮む思いだ。サバイバル技術も対テロスキルもない僕、ガル・ベン・アミが、理屈だけで、200人のグループを東へと導いていたのだから。振り返れば、銃やRPGを持ったテロリストが道で待ち構えていて、全員を殺すか誘拐していたかもしれない。想像を絶する人数を。 冷静だったからできたことだ。テロが始まった時点から、僕は状況を一歩引いて捉え、銃撃戦さえもどこか現実ではないように感じていた。しかし思考に溺れないよう、心にゆとりは与えなかった。周りで何が起ころうとも、走るしかないと割り切っていた。 ノアムに、妹のニッツァンから電話が入った。ノアムはかなり動揺していたので、僕が代わりにこう言った。「ニッツァン、僕を信じて。僕が何とかするから。じゃあ。」自信があった訳じゃない。言ったように、僕は冷静さを保つことができていたのだ。

3時間、止まらずに走り続けた。しかし、僕らのエピソードにも明るい面はある、イスラエル人の国民性だ。いつも言っていたことだし、これからも言い続けたい。あの状況で、見知らぬ人同士が励まし合った。あとどれだけ走らなければならないのかも分からないのに、人々は、置き捨てられた車からなんとか探し出してきた水筒の最後の一滴を与え合った。全くの他人同士だったのに、できるだけ多くの人が助かるように尽力し合った。こんな国はイスラエルだけだと思う。


People run away from Nova Festival

走っている間も、立ち止まったりペースダウンすると、戦いの音が近づいてきた。僕は何があっても走り続けるよう叫んだ。女の子たちがペースを落とすたびに、頑張れと言葉で後押しした。後ろを振り返るたびに、脱落している人が見えた。振り返ってはいけない…東へ走り続け、道路に近づかないよう注意した。道中、テロリストは戦車やトラック、オートバイでやってくるから道路に近づくのは危険だと聞いたのだ。誰が来るかわからない。インターネットとグーグルマップが僕たちを救ってくれた。

走り続けると、右(北の方角)からテロリストたちが銃を撃ってくる場所に出てしまった。銃声から離れて木陰へ逃げ、南へ進んだ。至る所で戦闘があった。どこも安全ではなかった…それでも僕は、友人たちが後ろで遅れをとっていないかどうか振り返り続けた。その中に、背の高い男性とアジア系らしい女の子がいた。僕は彼らにあまり気を留めていなかったが、後にネット上の捕虜たちのビデオの中でその姿を見つけた。彼らはこの拉致の恐怖の象徴となった。胸が張り裂けそうだ…

東に向かって走り続けると、200人ほどの集団が集まる大きな木にたどり着いた。反対方向から誰かが走ってきて叫んだ。「前から撃ってくるぞ!前にもテロリストがいるぞ!!」大パニックになった。この不条理な現実の中で初めて、僕は諦めた。もし走るのをやめれば、死ぬか、もっとひどいことになるのだ。そうだ、死ぬんだ。四方八方から撃たれ、逃げるチャンスはない。ある人たちは木の下に残り、生き残るチャンスを待つことを決め、別の人たちは東に逃げるしかないと言った。僕も東へ逃げ続けることにした。殺されたり、ひどい目に遭うのをただ座って待ちたくはなかった。

先に進むと、ようやく人の気配がする地域にたどり着いた。僕はみんなに、道路を横断すべきではないと言った。前にも述べたように、テロリストたちは車を使っていると聞いていたからだ。一方で、安全な場所を見つけて、そこで救助を待つ必要があることも理解していた。道順を教えてもらったり、安全そうな近くのキブツを探したりしながら、途中で警察の派出所と連絡を取った。彼は僕たちの居場所を尋ね、援軍を送ろうとしたが、もはや当てにできなかった。援軍など来ないだろう。

安全な場所を探し続け、僕たちは小さなキャビンのある地域にたどり着いた。一つ目の倉庫に入り、外の蛇口や冷蔵庫から水を飲み、ようやく少しだけ心が落ち着いた。ビールも見つけた。しかしこのような状況では、控えめに言っても、ビールはワクワクするものではない。それよりも、水を見つけたかった。倉庫の中で30分ほどすると、近くの小屋から来た人たちが僕らを呼んだ。そこはウォーター・ディスペンサーがあり、エアコンを備え、多少片付けがされた小屋だった。そこで、みんな個人的な体験をシェアしてくれたので、一緒に脱出した人たちのことを少し知ることができた。ある人はまだパニック状態にあり、ある人は友人を失い、ある人は両親に電話をかけ安心させようとしていた。

約2時間後、100人ほどの別のグループが到着し、小屋は混雑して騒がしく、テロリストの標的になりやすい場所となった。誰かが警報機で遊ぶのが面白いと思ったらしく、アラームが誤って作動した。テロのトラウマの後だったので、人々は混乱して慌てふためいた。さらに外から小屋を激しく叩く音が聞こえ、誰もが自分たちが死ぬことを確信した。アラームは止まった。誰かが外からアラームを叩いて解除した音だったようだ。

こちらへ走ってくるあらゆる車に対して、人々は怯え、叫んだ。時間が経つにつれ次第に死を覚悟し始めた。すると、人々がフェンスに向かって走り出しているのが見えた。何かが起こっていた。僕は友人の女の子たちに、「僕たちもここを離れよう。」と言い、みんなでフェンスを飛び越えた。舗装されていない道を歩き始めると、誰かが、「トラックに乗って助けに来てくれたんだ!」と言った。後ろからも前からもトラックが迫り、再び人々はパニックに陥り、叫んだ。 その数秒後、トラックは救助隊だと判明した。できるだけ多くの人を車に乗せようとしたが、僕たちが乗るスペースはなかった。車が動き出してから、ノアムがもう歩けないことがわかったので、僕は彼らを止めて、後ろに乗っていた男性に言った。「この2人の女の子を乗せてくれ。もう歩けないんだ。」二人はなんとか乗り込み、安全が確保された小さな村へと向かった。 僕は徒歩で歩き続けた。1時間ほどして、僕はようやく落ち着きを取り戻し、一緒に歩いていた人たち(ちなみに素晴らしい人たちだ)となんとか普通の話ができるようになった。救助隊を乗せた車が再び到着し、最後の1台に乗ることができた。友人たちが連れて行かれたのと同じ村まで送ってもらうと、ノアムの父親が出迎えてくれた。彼はイスラエル北部からわざわざ個人用の武器を持ってやってきて、警察の検問をくぐり抜け、娘を迎えに来たのだ。助かったということがまだ信じられなかったが、車に乗り込み、テルアビブの家に帰り着いた。

僕たちのグループは9人でパーティーを始め、9人全員が生還した。しかし、僕たちはみな、魂を大きく抉られたように感じている。ゴミ箱が閉まる音を銃撃の音だと感じなくなるまで、一体どのくらいの時間がかかるだろう。空を飛ぶ鳥の姿が、僕たちを殺しに来るパラグライダーのように感じなくなるまで。オートバイの音に怯えなくなるまで。 会場から逃げた他のグループのほとんどには、殺された人、誘拐された人、そして今日まで行方不明になっている人がいると聞いている。しかし、僕たちは本当に奇跡的に生き残った。全員が無事に家に辿り着き、ひとつの大きな奇跡を起こした。

僕は今、多くの誤ったプロパガンダを目にしている。数字はねじ曲げられ、写真は偽物だと言われ、テロを擁護する立場の意見が語られている。あなた方全員に言いたい。イスラエル人だから、ユダヤ人だからという理由だけで、命を非人道的に扱わないでください。嘘をつくのも、大衆のために偽の情報を流すのもやめてください。僕の友人は殺され、いまだに行方不明だ。僕が助けようとした人が誘拐されたり、亡くなったりもした。このような大虐殺のビデオや写真、人々の証言がたくさんあるのに、世界はまだ目を閉じることを選んでいる。

帰宅した僕の頭の中では、敵に対してひとつの歌が流れ続けていた。 "אין לי ארץ בוערת אם אדמת בוערת" 「たとえ私の土地が燃えていても、私には他の国はない」。

ガル・B.


bottom of page